勧められるまま、箸をつけた正志は、その美味さに息を呑んだ。見た目の美しさにも驚かされたが、味のほうはさらに凄い。取材として、何軒もの日本料理店や割烹、懐石料理店などを訪ねたが、彼女の味はそれらに決して劣っていない。いや、劣るどころか、かなり美味しい。ランキングをつけるなら、ベスト5には入る味だ。
美味いと唸り、顔を上げると、ユキはニコリと微笑んだ。さっきまで、仮面のように動かない表情だったのが嘘のように、優しい笑顔だ。
「良かったです」
言葉少なに答えるユキの声が、幾分か明るく、優しくなる。和らいだ空気に心がすうっと軽くなるのを感じた。一口食べる毎に、心の
冷凍溶脂棘が抜けていく。胸の痞えが溶けていくような、なんともいえない切なさで、目頭が熱くなった。
恋人と喧嘩して、周囲が敵だらけに見えて、仕事にも躓いて、居場所をなくし、追い立てられるように逃げて来た。彼女の料理は、そんな自分に、大丈夫ですよと優しく囁いてくれる。
無言で食べ続け、自然と流れ出た涙のわけを、ユキは聞かなかった。ただ向かい合い、食事を取り、時々微笑んでくれる。その心遣いが胸に沁みた。
「美味しかったです、ご馳走様でした」
「お粗末さまです」
さらに礼を言おうとすると、ユキは静かに微笑み、それを制した。口を利く機会をなくした正志が黙り込む。すると彼女は、綺麗に平らげられた膳を盆に乗せ、すいっと立ち上がった。
キュッと畳の鳴る音がして、盆を持ったユキが背を向ける。一連の動作が日本舞踊の振り付けのように、美しく、正志の目前で残像を描く。心臓が高鳴るのを感じた。盆を持ち、部屋から出て行く彼女の背を見つめていると、切なさでいたたまれなくなった。
行かせたくない。
咄嗟にそう思い、正志も立ち上がる。
「待ってください」
「なんですか?」
その声に、ユキは振り向かずに答える。あとを追った正志は、彼女の横に立ち、盆を持つ手を取った。
「食べさせていただいたんですから、片付けくらいは僕がしますよ」
「え? でも……」
自分がやりますと話すと、ユキは
冷凍溶脂戸惑い、少し困った表情になった。その仕草が、思いがけず可愛らしい。
「ユキさんは座っててください、洗い物くらい僕にも出来ます」
「でも、あなたはお客、ですから……」
「なにが、客じゃないですよ、ただの押しかけ大家です、いや、大家の息子か……とにかく、ご馳走になったお礼です、片付けくらいはやらせてください」
あくまでも、自分がやると言い張ると、ユキはそうですかと呟き、頷いた。
「ではお願いします」
「はい、任せてください」
素直に引いたユキの、押し付けがましくない優しさが、胸に沁みる。正志は高鳴る動悸を気にしながら、食器や鍋を手早く洗った。
洗いながらも、ユキの事ばかり考える。
細い指、細い首筋、華奢な肩。だが決して弱々しい印象ではない、強い光を放つ瞳。意思の強そうな、それでいて情の深そうな唇。深く澄んだ声。すべてが胸を擽り、動悸はさらに増した。
あんなに美しい人は見た事がない。
いや、見掛けの美醜だけで言うなら、彼女より綺麗な女性はたくさんいるかもしれない。だがそれでも、彼女には敵わないような気がする。表面の美しさというだけでなく、内面から滲み出す美が、彼女にはある。